11月に周藤講師の原理本体論講義を受けてきた。(韓国、清平)
講師曰く-神様が男であるという側面を理解しなければ、原理本体論は理解できない・・・
講師曰く-男心とは女性の美を求める心・・・
講師曰く-女心とは男性の為、自らの美を追求する心・・・
戯曲“ファウスト”の最後に
“Das Ewig-Weibliche zieht uns hinan.”
“永遠に女性的なるもの 引きて我等を昇らしむ。”
という有名な言葉があるが、男性にとっては、たしかにそのとおりであると思う。
陰陽の中和的主体ということは、神様は男でもあり女でもあるということなのだが、被造世界に対しては男性格主体であり、神を父と呼ぶのはこのためであると、既に原理講論に書かれてある。
原理本体論ではこのことがわからないと本論へ行けないのだ。(本論はまた別の機会として)
そしてさらに、前々回の投稿で触れた太極について紹介しておくが、
>易学は単に陰陽を中心として存在界を観察することによって、それらが、すべて性相と形状とを備えているという事実を知らなかったので、太極が陰陽の中和的主体であることだけを明らかにするにとどまり、それが本来、本性相と本形状とによる二性性相の中和的主体であることを、明白にすることはできなかった。したがって、その太極が人格的な神であるという事実に関しては知ることができなかったのである。(原理講論より)
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