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拉致監禁を荻窪駅で訴える後藤さん(本人)の映像

拉致監禁を荻窪駅で訴える後藤さん(本人)の映像

剣山紀行は明日からまた書くことにして、荻窪駅で拉致監禁の内容を訴えている映像があるのでアップしておく。

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これは本人が拡声器を持ち、訴えている所がなんといってもスゴイのだが、それに対する通行人の反応がいま一つかな???という感じだ。

勿論、都会人の反応は冷淡なものであることは、良く経験するところだ。しかし、これがもし、北朝鮮の拉致問題を訴えている内容ならどうだろうか??

“拉致”ということに関しては全く同じだ。こんなことは絶対に許されるべきでない。今後再発するようならば、厳正な司法の裁きがあってしかるべきである。

後藤さんは荻窪フラワーホームで12年5ヶ月監禁された。脱出した時のやせこけている写真が痛々しい。

拉致監禁を荻窪駅で訴える 後藤さん(本人)

http://jp.youtube.com/watch?v=cqmFJN8ZILc

拉致監禁を荻窪駅で訴えるコイデさん

http://jp.youtube.com/watch?v=vFW0XzDlGFc

詳しい内容は↓
我らの不快な隣人―統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇 (単行本) 米本 和広 著

この本から少し引用しておく。出来れば是非購入して参照していただければ幸いである。

>08年2月12日のことである。
少々、興奮した声だった。

>「後藤徹さんという信者が2月10目に監禁場所から出てきて、本部に助けを求めてやってきた。12年5ケ月間も監禁されていたという。痩せ細っているため、一心病院に緊急入院した」

>とっさに浮かんだのは「新潟少女監禁事件」だった。少女が監禁されていたのは9年。それより3年も長い12年。にわかには信じられなかったが、すぐに病院に駆けつけた。

>面会室に、後藤は車椅子で入ってきた。車椅子から備えつけの椅子に移ろうとするが、よろけてしまう。一人で立つことができないから、手を取って介添えした。

>身長は1メートル85センチなのに、体重はわずか37キロしかないという。

>写真を取りたいから、パンツー枚になって欲しいと頼んだ。

>時間をかけて服を脱いだ後藤の裸体は、目を背けたくなるほど貧弱な身体つきだった。骨と皮に、申し訳程度にくっついている萎えた筋肉。太ももからからくるぶしまでは、死に行く老人のそれと同じだった。右足の親指は水虫が悪化し変色していた。そのことを聞くと、「家族に何度も薬を買ってきてくれと頼んだけど、無視されたために次第に悪化していったんです」という。

>受け答えはしっかりしていて、私がもっとも心配したPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状は見られなかった。

>医師の所見によれば、「全身筋力低下,廃用性筋萎縮(特に両下肢)、栄養失調、貧血」 廃用性筋萎縮とは「筋肉を使わないために筋肉組織が退化して小さく弱くなった状態」のことである。

>短時間だったが、事件の概要を教えてもらった。

>主な登場人物は両親、兄(四七)、兄嫁、妹(四一)、それに株式会社タップ社長の宮村峻、新津福音キリスト教会の牧師松永堡智である。兄、兄嫁、妹の三人はいずれも元信者で、兄は宮村峻、兄嫁は宮村と松永の強制説得を受けている。兄は脱会後、宮村のタップに就職し、01年には弁護士の山口広や紀藤正樹たちが代理人となった「東京・青春を返せ裁判」を提起している。

>以下の事実経過は、後藤徹の一人称で綴ることにする。括弧内は私の補足説明である。

>私は、86年に兄の勧誘によって統一教会に人信した。大学四年生のときだ。87年に日本犬学理工学部建築学科を卒業し、大成建設に入社した。

>一回目の監禁は87年10月のことだった。

>音信不通となっていた兄から連絡があり、京王プラザホテルの一室に入ったところ、監禁された。そのあと、宮村峻が元統一教会信者を数人連れて部屋に来るようになり、脱会説得を受けた(『「脱会屋」の全て』の著者、鳥海豊と同じパターンである)。

>兄の後日の話によると、宮村の説得を希望する信者家族は大勢いて、順番待ちリストの最後尾は数百番目。兄はタップの社員であり、熱心に宮村の脱会説得活動を手助けしていたため、説得の順番を早めてくれたという。

>偽装脱会を装い、11月下旬頃、荻窪栄光教会の日曜礼拝に参加したとき、トイレに行く振りをして教会から脱出した。

>無届け欠勤していた大成建設は、辞めざるを得なかった。会社に頭を下げて復職しても、再度家族から拉致されるかも知れないという恐怖心もあった。

>八八年末には、妹が拉致監禁され、脱会した。

>私は、桜田淳子や山崎浩子の参加が話題となっていた九二年の合同結婚式に参加した。しかし結婚相手の日本人女性はソウルから帰国後、脱会説得を受けて信仰を失い、結婚生活に入ることができなかった。

>93年、兄が結婚した。兄嫁は宮村と松永から脱会説得を受けた元信者で、「新潟・青春を返せ裁判」を提起した一人だった(『人さらいからの脱出』の著者、小出浩久は偽装脱会中に「新潟・青春を返せ裁判」の集会に参加している。おそらく、後藤の兄嫁とも会ったことがあるだろう)。

>95年8月、ソウルで行われた国際合同結婚式に参加した。

>しかし、9月に2回目の監禁に遭い、結婚生活を始めることはできなかった。

>95年9月11目の夜、保谷市(現、西東京市)の自宅に帰宅したところを、両親、兄、また庭に潜んでいた見知らぬ男性らによって四方八方を囲まれ、左右両脇を抱えられ抵抗できない状態にされて、ワゴン車に連れ込まれた。後日判ったことだが、見知らぬ男性は、宮村が経営していた「タップ」の社員(元信者)だった。

>監禁場所は、新潟のマンションだった(後藤の拉致は、麻子が早稲田通りで拉致される二ケ月前の話である)。

>保谷市から新潟に運ばれるとぎは、トイレに行かせてもらえず、家族から渡されたビニール製の携帯用簡易トイレで用を足さざるを得なかった。屈辱的だった。

>新潟のマンションには両親、兄嫁、妹が一緒に住み、兄は東京で働いていたため、休みの日にやってきた。兄は私にこう宣言した。

>「言っておくが、この問題は絶対に許さんからな。この問題を解決するまでは絶対に妥協しないし、この環境もこのままだ。我々はどんな犠牲を払っても決着をつける。お前もそれは、覚悟しておけ」

>兄の言葉は単なる上辺だけのものではなかった。

>新潟時代には兄と兄嫁は別居、一年間監禁生活を共にした妹はいまだ独身だ。「どんな犠牲を払っても]という兄の言葉は嘘ではなかった。

>監禁説得にやってきたのは、新津キリスト教会の松永堡智だった。

>96年、父は入院し、心臓のバイパス手術を受けた。父が癌で亡くなったのは、監禁から二年後の98年6月のことだ.享年六六歳だった.

>保谷市の自宅の通夜に参加したあと、今度は東京荻窪のマンションに移動させられた、このマンションには半年間いただけで、97年12月に移った「荻窪フラワーホール」の804号室で、母、兄、兄嫁、味から監視される新たな10年間に及ぶ監禁生活が始まった。

>私は一番奥のベランダに面した部屋に連れて行かれ、普段はそこに居るように、部屋の襖は常に開放したままにするようにと宣告された。

>一度、玄関から脱出が可能かどうか確認しようと、玄関が見える位置まで行ったことがある。

>玄関は内側からクサリと南京錠で開かないようにされていた。兄は「シッ、シッ]と言って手の甲を私の方に向けて振り、私を奥の部屋に追いやった。

>私は人間扱いされていないと感じて、「これじゃまるで犬扱いじゃないか。俺は人間だぞ!」と言って抗議した。

>脱出を試みたことがあるが、兄から足技を掛けられて倒され、取り押さえられてしまった。

>翌年の98年1月頃から、宮村峻が元信者を引き連れてやってくるようになった。いずれも宮村が強制説得した元信者だった。自宅で拉致されたときに庭に潜んでいた宮村の会社の社員もやってきた。

>宮村と元信者たちは、あらゆる非難、中傷、罵倒を浴びせかけ、何度も「バカ」「アホ」と私を侮辱した。

>「これは監禁だ、人権侵害だ」と何度も抗議したが、そのたびに宮村は怒鳴り返してきた。

>「えらそうなことを言うな。お前に人権を主張する資格などない」

>「俺はお前を監禁なんかしてない。家族が保護しているんだ。出してもらいたければ家族に言え」

>「自分の頭で考えられるようになるまではここから出られないぞ」

>「もし自分の子どもが統一教会を辞めなければ、俺は家に座敷牢を作って死ぬまで閉じこめておく」

>元信者の高森洋子(仮名)は、あぐらをかいて座り、タバコを吹かしながら、「卑怯者、あの時あんた逃げたでしょ!」と怒鳴り、四谷景子(仮名)は私が話をしているときに、突然、出されていた緑茶を私の顔面に浴びせた。

>兄は、私を糾弾している最中に急に立ち上がり、「本当ならぶん殴って半殺しにしてやるところだ!」と絶叫し、妹は「こんな調子だったら永遠にこのままだから覚悟して」と脅迫めいたことをロにした。

>私は〈もういっそのこと死んでしまいたい〉と思った。
彼らの統一教会批判に、私が具体的に反論すると、いつもきまって「お前は全然人の話を聞いていない」「自分の頭でよく考えろ」

>監禁中、何百回この言葉を聞かされたかわからない。「聞いている」「自分で考えている」とその度に反論するけど、彼らは「いや、聞いていない」「考えていない」と言って頑として受け入れない。

>結局のところ、彼らの言う「聞いていない」「自分の頭で考えろ」の意味は、〈俺たちが言う統一教会批判を全然聞き入れようとしない。自分の頭で考えているんだったら、統一教会信仰の間違いに気がつくはずだ〉ということだ。

>宮村が来るたびに、私は『原理講論』に「正」の字を書いて回数を記録したが、合計で73回だった。

>こんなことがあった。宮村が来たとき、私は風呂場に入って「監禁だ!」と言って叫び続けた。すると宮村は、風呂場に人ってきて私の首の後ろの襟を掴み、私を風呂場から引きずり出した。

>一年ぐらい経ってから、宮村たちは顔を見せなくなった。

>宮村が姿が見せなくなっても、監禁は続き、家族だけでの説得は続いた。

5 comments to 拉致監禁を荻窪駅で訴える後藤さん(本人)の映像

  • 福山教会BLOG

    拉致監禁…

    関連記事としてトラックバックさせて頂きました。 (more…)

  • Yukio Momose

    拉致監禁の実態を知らされ今もなおこんなことが続いているのかと驚きでした。
    92年頃から拉致については聞いていましたがほんとにこんなにひどいとは
    思っていませんでした。

    いまの時代ですからこうした反対組織も将来的には自然消滅することを信じたいです。

  • 本当にひどいですよね。

    そしていまだにそのようなことが行われている現実がありますから、

    全国民がこの事実を知るまで訴え続けなければならないと感じます。

  • koro

    痩せているのは、脱出後、断食をしたからだと私は聞きました。

    何とか助けようしているご家族の方が、食事を与えないということは、あまりにも矛盾していると思います。

  • koroさん、コメントありがとうございました。

    国民全体がこの事実を知らなければなりません。
    後藤徹さんの例は誰が見ても悲惨です。

    骨と皮ばかりで37キロという、正に餓死寸前まで行かせてしまった極限的状況を考えると、そこに至らせてしまった原因と責任はどこにあるのかということを、深く考えなければならないと思います。

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