>丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。弘法大師は、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。これ以降、古くからの日本人の心にある祖先を大切にし、自然の恵みに感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、神と仏が共存する日本人の宗教観が形成されてゆきました。中世、当社の周囲には、数多くの堂塔が建てられ明治の神仏分離まで当社は五十六人の神主と僧侶で守られてきました。
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>また、高野山参詣の表参道である町石道の中間にある二つ鳥居は、神社境内の入口で、まず当社に参拝した後に高野山に登ることが慣習でした。
鎌倉時代には、行勝上人により気比神宮から大食都比売大神、厳島神社から市杵島比売大神が勧請され、社殿が北条政子により寄進され、本殿が四殿となり、このころから舞楽法会が明治のはじめまで盛んに行われます。現存する本殿は、室町時代に復興され、朱塗りに彫刻と彩色を施した壮麗なもので、一間社春日造では日本一の規模を誇り、楼門とともに重要文化財に指定されています。
>尚、平成十六年七月「紀伊山地の霊場と参詣道」の丹生都比売神社境内として世界遺産へ登録されました。
(丹生都比売神社HP御由緒より)
このように、弘法大師空海上人は、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開いたとある。宮司さんによれば丹生都比売大神は空海上人に快く土地を提供したのだということである。よく言われるように土地の借用書の十年の上に点を打って千年にしたとか、借用書をネズミがかじったというのは後世の作り話的なものであろう。
少し奥に、四つの社殿がある。〔写真〕
第1殿に丹生都比売大神 、第2殿に高野御子大神 、第3殿に大食都比売大神 、第4殿に市杵島比売大神
明治5年の神仏分離により、近くにあった多くの仏堂・仏像が棄却されたということである。多宝塔の跡と思われる場所の近くに光明真言石碑と五輪卒塔婆という仏教的な遺跡の名残を留めている。〔写真〕
この場所は正に、宗教統一の先駆けになったような場所である事は間違いない。これが世界遺産の選定理由であるということも、注目すべきことである。
~つづく~







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