空海の母は承和2年(835年)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったという。弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになったとのことである。(wikiより)
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ここには秘仏として、重要文化財の弥勒仏が安置されているが、21年に1度しか見ることが出来ないそうである。
ここでも和尚さんが熱心に説明してくれた。丁度四国からの観光バスの団体客と一緒になったが、我々はその前に説明を聞いた。
高野山の案内犬ゴン(平成4年~平成14年)は雑種の野良犬であったがいつしか、ここをねぐらとして高野山町石道を案内するようになったそうである。弘法大師像の横に、ゴンの石像が載せられた「高野山案内犬ゴンの碑」があるそうだ。
丹生都比売神社も含め高野山町石道は高野山とともに『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録されている。
高野山への道標(道しるべ)として、1町(約109m)ごとに「町石(ちょういし)」と呼ばれる高さ約3m強の五輪卒塔婆形の石柱が建てられ、高野山上の壇上伽藍・根本大塔を起点として慈尊院までの約22kmの道中に180基、大塔から高野山奥の院・弘法大師御廟まで約4kmの道中に36基の、合計216 基の町石が置かれている。また、慈尊院から数えて36町(1里)ごとには、町石の近くに「里石(りいし)」が合計4基置かれている。(wikiより)
ここから119段の石段を上った所に丹生官省符神社がある。〔写真〕
石段を少し登ったところに町石道の説明が出ていた。〔写真〕
そして町石〔写真〕 高さ約3m強の五輪卒塔婆形の石柱である。
弘法大師は弥勒仏の来臨を強く願ったが故に、文師が弥勒仏であるということがはっきりと分かったのであろう。




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