昨日書いたように、
エリヤは、自分がエリヤであることをはっきり否定してしまって、失敗者となったのだが、イエス様は、
>「もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである」(マタイ11・14)というふうにおっしゃって、イエス様御自身も、ユダヤ人たちが、自分の証言を喜んで受け入れないだろうということを知っておられたのである。
聖書で、雲に乗って来られると言われている箇所は多数あるが、黙示録から引用すると、
>見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。 ( 黙示録 1:7)
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それではなぜ、イエスはなぜ雲に乗って再臨されると言われたのか
イエスが、雲に乗って再臨されると言われたのには、二つの理由があった。
>第一には、偽キリストの惑わしを防ぐためであった。もしイエスが地上で肉身誕生によって再臨されるということを言われたとすれば、偽キリストの惑わしによる混乱を防ぐことができなかったであろう。イエスが卑賤な立場から立ってメシヤとして現れたのであるから、いかに卑賤な人であっても霊的にある基準に到達するようになれば、それぞれが再臨主であると自称するようになって世を惑わすからである。しかし、幸いにもあらゆる信徒たちがイエスが雲に乗って来られると信じ、天だけを仰いできたので、この混乱を免れることができたのである。ところが今はときが到来したので、イエスが再び地上で誕生されるということを、明らかに教えてやらなければならないのである。
>第二には、険しい信仰の路程を歩いている信徒たちを激励するためであった。
しかしイエスは、天から下ってくると言われたエリヤ(洗礼ヨハネ)のように地上誕生をされた。それが文師である。
そして雲の意味は“群衆”または“信仰の篤い信徒”の比喩である。
>雲とは果たして何を比喩した言葉であろうか。雲は地上から汚れた水が蒸発(浄化)して、天に昇っていったものをいう。しかるに、黙示録一七章15節を見ると、水は堕落した人間を象徴している。したがって、このような意味のものとして解釈すれば、雲は、堕落した人間が重生し、その心が常に地にあるのでなく、天にある、いわば信仰の篤い信徒たちを意味するものであるということを知り得るのである。また雲は、聖書、あるいは古典において、群衆を表示する言葉としても使用されている(ヘブル一二・1)。
>イエスが雲に乗って来られるというのは、イエスが重生した信徒たちの群れの中で、第二イスラエルであるキリスト教信徒たちの指導者として現れるということを意味するものであることが分かる。既に詳しく考察したように、弟子たちがイエスに、どこに再臨されるかということについて質問したとき(ルカ一七・37)、イエスが、死体のある所にははげたかが集まるものであると答えられたそのみ言の真の内容も、その裏として信仰の篤い信徒たちが集まる所にイエスが来られるということを意味したのであって、要するに、雲に乗って来られるというみ言と同一の内容であることを、我々は知ることができる。
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