コメントについて

コメントは承認制となっております。
過去の古い記事についてのコメントは担当者の個人ブログ
http://www.wakayama-somu.netの方に投稿お願い致します。

MBCNET 「平和のための旅 2015 ピースロード」

MBC NET ドキュメンタリー 「平和を愛する世界人」(日本語吹替版)

MBC NET ドキュメンタリー番組「文鮮明、統一と平和のための生涯」

Create a Life you love

最近のコメント

アーカイブ

2009.1月からのカウント

  • 111This post:
  • 483720Total reads(閲覧数):
  • 177834Total visitors(訪問者):
  • 3Visitors today(今日):
  • 71Visitors yesterday(昨日):
2017年9月
« 7月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

熊野古道-3

その後、美術館駐車場から、すぐ近くの近露王子まで行って待機した。
まず、近露王子の写真を撮った。

宗教ランキング←クリック(応援お願いします)


>明治時代末期までは立派な社殿や杉の巨木があったという近露王子は、神社合祀令によって木々も伐採され、出口王仁三郎の筆による石碑が残るのみだという。(新・紀州語り部の旅より引用)〔写真〕

cimg1513s.jpgcimg1514s.jpg

後鳥羽上皇の歌碑があった。

「世をてらすかげとおもへは熊野山 こころの空にすめる月かな」〔写真〕

cimg1518s.jpg

>「ちかつゆ」という地名は、花山天皇の熊野詣のとき、現在の箸折峠で食事をしようとして箸がなかったので、萱の茎を折って箸にし(これが箸折の名の由来)、そこからしたたり落ちる赤い汁を見て「これは血か露か」と言ったことに由来すると伝えられる。

>近露では宿泊・潔斎をする例が多く見られる。仁和寺蔵の『熊野縁起』にも、「近露の水は現世の不浄を祓う」とあり、参詣に備えて身を清浄にする霊場となっていたことが分かる。近露は田辺と本宮のほぼ中間に位置する中辺路の要所・宿場として早くから発達し、近世になってからも宿駅として栄えた。特に、北野橋を渡って王子の前あたりから200mほどの区域は道中(どうちゅう)と呼ばれ、多くの旅籠が軒を連ねたという。(wikiより)

近露王子と書かれた紀州藩の緑泥片岩碑があった。〔写真〕

cimg1512s.jpg
和歌山城付近には青緑の石が多いが、それを切り出したものなのかもしれない。

~つづく~

Leave a Reply

  

  

  

You can use these HTML tags

<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">