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ノアの裸

今日は、洪水審判の後、ノアが裸で寝ていたという創世記の物語について「聖書の秘密」から引用してみる。

>「創世記」には意味のないもの、無駄な部分はない。ノアが裸になったことには、あるいはノア自身も自覚していない神の摂理があった。アベルとカインが神に供え物をする儀式があったように、ノアの家庭におけるサタン分立の成否を問う儀式だったのだ。

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>さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが,彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。セムとヤペテとは着物を取って,肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って,父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。やがてノアは酔いからさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、彼は言った。
「カナンはのろわれよ。
彼はしもべのしもべとなって、
その兄弟たちに仕える」(9:20)

>ここでまた奇妙な出来事が起こりました。ノアが酔っぱらって,天幕の中で裸で寝ていたというのです。ノアは正しく全き人,神と共に歩んだ人です。そのノアが酔って裸で寝ているとは、どうしたことでしょうか。しかもむっくり起き上がったノアが何と言ったかというと、「カナンはのろわれよ」と言ったのです。カナンは次子ハムの息子です。ノアの孫です。のろわれよ、とは穏やかではありません。孫のカナンに何の罪があるというのでしょうか。不可解なノアの言動という他ありません。

>聖書物語の作者がアブラハムから始める理由の一つに、ノアの言動の解釈に困るからです。息子のハムが父を犯したというホモ説さえありますが、いかにも不自然です。子供向けにしても、ノアが裸になる話では教訓にもなりません。

>ノアは気がゆるんで、ぶどう酒に酔ってだらしなく裸になったのでしょうか。しかも自分の裸を息子に見られた時、その孫をのろうという見当違いな責任転嫁をしたのでしょうか。ノアは酔っぱらって口汚く孫を叱る、いらだたしいお爺さんに過ぎないのでしょうか。

>ノアを中心人物として選ぶことが、神の責任です。そのノア自身がだらしない人間であったなら、神の目に狂いがあったことになります。全知全能の神ではなくなります。それともこの話はさして意味のない、軽く読みとばすべきところでしょうか。

>そんなはずはありません。「創世記」には意味のないもの、無駄な部分はないのです。ノアが裸になったことには、あるいはノア自身も自覚していない神の摂理があったのです。アベルとカインが神に供え物をする儀式があったように、ノアの家庭におけるサタン分立の成否を問う儀式だったのです。ではノアの裸には、どんな意味があるのでしょうか。

>ノアの家庭は、堕落したアダムの家庭を復帰する立場です。ノアは再創造されたアダムです。それでは堕落前のアダムは、裸をどう意識していたでしょうか。第二章の結びでは「ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった」とあったのです。

>つまり裸を恥ずかしいとは思わなかったことが、サタンの血統が侵犯していないことを表示しているのです。ところがふたりが「食べた」後ではどうでしょうか。第三章では「裸であることが分かったので、いちぢくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた」のです。つまり裸を恥ずかしいと思う意識が、サタンとの血縁関係を表示しているのです。

>神はノアを裸にして見せました。ノアの子供たちが父の裸を見て、恥ずかしいという意識をもたなかったとき、ノアの家庭はサタンとの血縁関係が皆無であることを証明するのです。しかし彼らが裸が恥ずかしいという意識をもつことは、サタンの血縁的な子孫であることを自ら証明することであり、そこにサタンが侵入する条件となるのです。

>ノアが摂理の中心人物として立つための条件物が箱舟であり、その期間が精誠をこめた120年間でした。こうしてノアは絶対的な信仰を立て、神の祝福を受けたのでした。

>次にあるのが、アベルカインの摂理です。アベルの立場が次子のハムです。次子なら善の表示体として立てられるかというと、アベルにはアベルとしての条件があるのです。

>中心人物として立った父と同じ心情で、父と一心同体になっていることが、アベルとして立つ条件なのです。つまりハムは父の裸を見ても、恥ずかしいという意識をもたない立場に立たなければならなかったのです。だからといって、裸が良いというのではありません。ノアの裸は、この場合に限られた供え物だったのです。

>長子セムはカインの立場です。アベルの立場のハムが父の裸を自然のことと受け止め、セムもハムに従って父の裸を恥ずかしくないことと受け止めるならば、ノアの家庭はサタンとの血縁関係がないことを立証したのです。サタン分立の成功です。しかし結果はどうでしょうか。

>「兄弟よ、お父さんがみっともなく酔っぱらって、裸で寝ているよ」とハムは、セムとヤペテの兄弟に告げ口したのです。セムとヤペテは父の裸を見ないようにして、うしろ向きに歩んで着物をかけてあげ、父の裸を見なかったのです。するとノアは酔いから覚め、「カナンはのろわれよ」と言ったのです。

>これはノア自身の言葉でしょうか。彼は自分が裸で寝ていることさえ気づかなかったのです。「カナンはのろわれよ」とは、ノアの唇を借りた神の怒りの言葉だったのです。箱舟に入ったノアと動物の他はすべて滅ぼすという、大きな犠牲を払ったサタン分立の摂理が、失敗に終わったことに対する神の怒りと嘆きの言葉だったのです。

>「わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に」と神が恨みのろったのは、サタンの血縁の子孫でした。サタンはアベルの立場のハムを奪ったのです。ですからその子カナンは、サタンの血縁の子となるのです。それで神は「カナンはのろわれよ」と言われたのです。
サタンはカイン側の長子ではなく、神が愛するアベル側の次子、ハムを奪ったのです。

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