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十字架への道

文師の十字架を降ろすという呼びかけによって、アメリカの聖職者が十字架を降ろした。

Trade Cross to Crown Ceremony

神様の悲しみの象徴の十字架を降ろし、イエス様に王冠を捧げよう。

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十字架への道

高い山の上で

>イエスはペテロ、ヤコブ、ヨハネの三弟子を連れて、高い山に登られました。
するとイエスの姿が変貌したのです。マタイは「その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった」と書き、マルコは「どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいに白くなった」と書き、ルカは「まばゆいほどに白く輝いた」と書いています。三弟子たちが体験した事実と思われます。

>マタイ、マルコでは彼らの目の前で、イエスの姿は変貌したのですが、ルカでは三弟子は「熟睡していた」のです。イエスの祈りはながく、弟子たちはただ退屈して眠ってしまったのでしょう。ところが突然に目を開けると、イエスの姿が変貌して光り輝き、そこにモーセとエリヤの姿が見えたのです。人は夢の中で霊界を見るといいます。眠りから覚めたその瞬間に,弟子たちは霊界と現実界のはざ間で、霊眼が開けたのです。彼らの姿が白く輝いていたのは、その霊人体が完成された発光体であったからです。

>イエスは寂しい所でしばしば、ひとりで祈っておられました。祈りの中で霊通して預言者たちと語り合い、そして天の父と会話されたのです。「わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである」(ヨハネ12:50)と述べているように、イエスの言動は常に神の啓示によるものでした。

>イエスは自らを「人の子」と呼びます。それは本然の人間という意味であり、神の子という意味です。イエスは神に話しかけ、神は常に答えてくださるのです。それが父子の関係です。その父子の因縁が切れて、天の父が顔を背けて答えてくださらない時、イエスは絶望の叫び声をあげるのです。

>さて、モーセとエリヤとイエスの三者会談において、何が話し合われたのでしょうか。「イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて」話し合われたのです。イエスの十字架への道は、ここに決定しました。それは最初からの神の予定ではなかったのです。しかし現実界を見れば、もはやイエスの権能を持ってしても、サタンを屈伏させることは不可能な情勢でした。地上における、イエスを支える基盤がなかったのです。イエスの肉体は十字架上でサタンに渡されるが、その代償として、イエスの霊人体の復活が約束されたのです。霊的に復活することによって、逃げ散った弟子たちを再度集め、イエスと聖霊の役事によって、弱き彼らを不屈の使徒に変えることが話し合われたのです。

>目を覚ましたペテロが突然、妙なことを口ばしりました。「先生、わたしたちがここにいるのは素晴らしいことです。ここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために,一つはモーセのために,一つはエリヤのために」

>彼がそう言っているあいだに、雲におおわれてその姿は見えなくなりました。そして雲の中から声が聞こえたのです。「これはわたしの子、わたしが選んだ者である。これに聞け」声がやむと、そこにはイエスの姿だけがありました。弟子たちは恐れて沈黙していました。「今見たことは、誰にも言うな」と戒め、イエスはさらに弟子たちに言われました。

>「人の子は人々の手に渡され、彼らに殺され、そして三日目によみがえるであろう」しかし弟子たちは、師の言われる意味が分かりませんでした。それで彼らは、自分たちのうちで誰がいちばん偉いか、という場違いな議論を始めたのです。

>イエスは幼な子を取りあげて言われました。「誰でもこの幼な子を、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。いちばん小さい者こそ、大きいのである」このように弟子たちを諭すイエスの心中は、悲痛であったに違いありません。
( 聖書の秘密より )

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