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マリア・ジブナの死

>共産圏の宣教に行く信徒は、親に目的地さえ知らせることができずに出発しました。共産主義の恐ろしさをよく知る親たちが、最愛の息子・娘が死地に入っていくのを許すはずがなかったからです。ソ遣に派遣されたクント・プオルチョは、国家保安委員会(KGB)に見つかって、国外追放されました。チャウシェスクの独裁が極に達していたルーマニアでは、秘密警察のセクリタテアに尾行され、電話を盗聴されることが頻繁にありました。

>一言で言って、ライオンのいる洞穴に飛び込むようなものでした。それでも、共産国家に潜入する宣教師の教は日増しに増えていきました。その頃、一九七三年のことです。チェコスロバキアで、宣教師を筆頭に信徒三十人以上が一度に検挙されるという惨い事件が起きました。マリア・ジブナは冷たい監房の中で、二十四歳という花の盛りを迎えようかという年頃で命を失い、共産国家で宣教中に落命した最初の殉教者となりました。翌年、もう一人がやはり監獄で命を失いました。

>知らせを聞いた私は、全身が硬直しました。話すこと、食べることはもちろん、祈ることさえできず、石の塊になったように座り込んでいました。彼らが私に出会っていなければ、私が伝えるみ言を聞いていなければ、そのように寒くて孤独な監獄に行くこともなく、そこで死ぬこともなかったはずなのに……。彼らは私の代わりに苦痛を受けて死んだのです。(以上引用 文師自叙伝p179)

マリア・ジブナは死後、黄色い蝶の姿で文師の前に現れたという。

このように、統一教会は1970年代の共産主義が勢いを増していく時に命を賭して歩んできた歴史がある。

そして常に世界共産主義と戦ってきた。そのため日本赤軍が文師の命を狙っていたのである。

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