昨日の内容は、日本国内のニュースでも取り上げられていたので、改めて詳しく書かないが、情報が錯綜する中で書いたものであることをご理解願いたい。(あえて訂正はしません・・・。)
キリスト教徒を強烈に迫害していたサウロが突然、強い光に照らされ、イエスの語りかける声を聞いたという不思議な体験をする。
結局この体験を通して、本人がキリスト教徒になり、パウロとなってキリスト教を大きく広める役割を果たしていくのである。
今まで信じていた常識が180度転換するという事は、物理学やその他にも、様々な分野でしょっちゅうと言っていいほどある事だと思う。
以前にもパラダイムシフトという内容に触れて書いたが、最初から偏見を持って見るのではなく、常に公正な見地で物事を掴んでいく事が大事だ。
このことは、私自身にもいつも問いかけるように努力している・・・。
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昨日、真のお母様、お孫様の乗ったヘリが不時着とのニュースがあった。 韓国での事なので、詳しい情報は正確に伝わってこないと思うが、とにかく大きな怪我人が無くてよかった・・・・。
通常であれば、ヘリが墜落したら爆発したりして死傷者は免れないところだが、神様と天使の守護があったのだろう・・・・。
(教会員の皆様は、色々な情報が錯綜する時なので、正確な情報が伝わるまで無用の心配をなさらないように注意してください。)
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現代が終末である事は、
第一祝福復帰の現象~第三祝福復帰の現象を見れば理解することができるだろう。
原理講論
より抜粋して引用してみる。
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十字架の贖罪には限界があって当然だと思う。人間自身の努力がなければ、わざと(罪と自覚しつつ)罪を犯して、日曜日ごとに悔い改めれば天国へ行けるという話は、あまりにも虫が良過ぎる・・・・。(だから信者が増えるのだろうが・・・・)
>十字架の贖罪により救いの摂理は完成されただろうか
>イエス・キリストの十字架の贖罪により、果たして、復帰摂理の目的が完成され、すべての信徒たちが創造本性を復帰し、地上天国を成就できるようになったであろうか。
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三教指帰(さんごうしいき、または、さんごうしき)は唐に渡る前の空海が、登場人物に儒教、道教、仏教を比較させ、空海を指すと考えられる主人公が仏教を選ぶという内容の書である。
儒教は立身栄達を目標とし、道教は世俗を離れて自己のみが神仙の道へ行くが、仏教は他者救済に目的があるとするのである。そこに空海の他の為に生きる愛の大きさを見出す事ができる。
日蓮も仏教をいろいろと比較している。しかし、宗教を比較することによって、宗教同士の争いを生む事になりかねない。宗教にも段階があって、供え物を捧げていく段階から、より高い、他者への愛を表わす段階まで、人間の成長によって発展していくのである。
人類歴史は人間始祖の堕落によって始まった戦争の歴史であり、アベル(より神側)とカイン(よりサタン側)の闘争は、今もなお続いている。戦争を根本的に終結させるためには、人間を堕落以前の状態に元返す以外に道がない。その為にメシヤ(救世主)が必要なのである。
その後は、結局、最終的に神(親)と人間のみの関係だけが残り、宗教は必要無くなるのである。
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毎週一人の方が担当してお花を変えているが、お花の先生なのでなかなか毎回いろいろ工夫されているようだ・・・・。
礼拝堂だけでなく他の所にも飾ってあるので、また機会があれば紹介したい。
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今日は、復活論から完成再臨復活について引用する。
>新約時代に、地上でイエスを信じて楽園に行った生命体級の霊人たちは、メシヤが再臨されたのち、全部地上に再臨するようになる。
>その霊人たちは、地上の聖徒たちをして、再臨されたイエスを信奉して生霊体級の霊人体を完成するように協助することによって、彼らも同様な恵沢を受けて、生霊体を完成するようになるのである。
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昨日、天一国
創国成就還元祈願礼式として、天一国を祈願する式典が礼拝堂で執り行われた。
天一国とはイエス様が“まず第一に神の国と義を求めよ”と言われたように、その神の国を表わしている。(このことについては前にも書いたので旧ブログを参照していただきたい。)
式典は、祈祷に始まり、みことばの訓読、説教者の講話、霊界の方々への手紙、献花、聖人・義人の方々への祈願という内容で粛々と進行した。席から溢れるほど礼拝堂一杯の人々が、思いを一つにしての全体での祈祷をもって終了し、万歳で締めくくられた。
昨日は、真夏のような暑い日だった。天気も良く、市内の神社を廻ってみた。
まず浜の宮神社・・・。一番古い神社と言われている。行ってみると、かなり細い道になっているので車が通りにくい感じだ。和歌山の古い所は、自動車用に道が設計されているわけではないので、かなり狭い所が多い。細い道を抜けると少し広い通りに出た。
なんだ・・・・最初からこっちからこればよかったんじゃないの。と思いながら行ってみると小さい神社だが格式のある感じだ。
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